国鉄の残像 in 北海道 2017年夏


旅の道すがら目に付いた旧国鉄時代の遺跡を、旧い鉄道ファンが写真に残しました。系統的ではないのでさほど価値あるものだとは思いませんが、思い出深い方の目を慰められれば幸いです。

羽幌線


歌越-手塩金浦  2017.06.17

天北線


松音知駅跡  2017.06.24


曲渕駅跡  2017.07.13

興浜北線


豊牛駅跡  2017.07.11

興浜南線


興部-沢木  2017.06.26

興部-沢木  2017.06.27

興部-沢木  2017.06.27

名寄本線


中湧別駅跡  2017.06.28

中湧別駅跡  2017.06.28

藻興部川橋梁  2017.07.09

藻興部川橋梁  2017.07.09

遠軽駅 湧網線方向終端  2017.07.07

湧網線


計呂地駅跡  2017.06.29

計呂地駅跡  2017.06.29

卯原内駅跡  2017.06.29

卯原内駅跡  2017.06.29

石北本線


生田原-金華(信)  2017.07.06

常紋(信)跡  2017.07.05

相生線


北見相生駅跡  2017.07.05

北見相生駅跡  2017.07.05

北見相生駅跡  2017.07.05

深名線


第3雨竜川橋梁  2017.07.14

添牛内駅跡  2017.07.14


最終の特急が終着駅に着いても、その時刻には駅員がいない(稚内駅)、というのが私が目にした2017年のJR北海道の現実です。全国をつなぐネットワークを分断し、経営的に単独では成立し得ない鉄道会社を作った結果が、惨憺たる現状のJR北海道です。JR他社に事実上吸収されるのか、さらなる路線縮小をするのか、いずれにしても北海道内の交通をJR北海道が網羅的に担うことは、再びは無いでしょう。

北海道内の田舎町で過去の鉄道の廃止が格別の出来事であったことは、各地に資料館が残されていることからも分かります。使命を終えて廃止された面もありましたが、赤字を理由に切り捨てられたという面も否定できません。廃線がその後のその地にどう作用したのかについては、余所者の知り得るところではありませんが、過疎を促進したのだとしたら、誰が喜んでいるのでしょうか。

今回の旅であちらこちらの資料館や博物館などで、軌道が北海道開拓に果たした役割を再認識しました。その時代からまだ百数十年しか経っていませんが、現在は鉄道網に変わる道路網が発達しました。

その道路を走って思うのは、高速(高規格)道路以外の道路の損傷です。深いわだち、ひび割れ、波打ち等の危険な状態がいたるところに在ります。おそらくは旧来の道路の維持管理に回す予算が乏しいのしょう。その一方で採算がとれそうにない新しい有料道路を作ることは、ますます将来の財政を危うくすることで、国鉄の轍を踏むことになるのではないかと危惧します。こんな考えは内地の者の不見識で、余計な心配であってくれれば結構なことですが。

今も北海道が好きで、昔は鉄道が好きだった爺の戯言でした。


コメント